塾長のひとりごと

保護者向け・コラム(豆知識)

【夏休みの宿題にAIを使うのはアリ?ナシ?】大切なのは「何をAIに任せるか」

 

こんにちは、完全個別指導塾オールウェイズです。

夏休みも終盤です。

 

この時期になると、

「まだ宿題が残っている」

「作文が終わっていない」

「自由研究をどうしよう」

という話も増えてきます。

 

そして、今年さらに身近になっているのが、「夏休みの宿題に生成AIを使う」という選択肢です。

今日8月24日のニュースでも、夏休みの宿題にAIを利用することについて、保護者の間でも意見が分かれている様子が紹介されていました。

その中では、「丸写しは避けたい」一方で、「ヒントをもらったり、調べたりするためなら使ってもよいのでは」という声も出ています。(テレ朝NEWS)

これは今後、学校でも家庭でも避けて通れないテーマになると思います。

 

では、宿題にAIを使うのはアリなのか、ナシなのか。

私は、この二択だけで考えること自体が少し違うと思っています。

大切なのは、「AIを使ったかどうか」ではなく、「何をAIに任せたか」です。

 

「AIを使う=ズル」では片づけられない

たとえば、分からない数学の問題があったとします。

教科書を見る。

参考書を見る。

先生に聞く。

インターネットで調べる。

これらは、分からないことを解決するための方法です。

そこに現在は、AIに質問するという方法も加わりました。

AIだけを特別に、「使ったらダメ」と考えるのは、これから先は難しくなっていくと思います。

文部科学省も、学校での生成AI利用について、一律に禁止したり利用を義務付けたりするものではなく、発達段階や情報活用能力、利用場面に応じて適切に判断するという考え方を示しています。

そして、基本的な考え方として、「人間中心の生成AIの利活用」と、「生成AIの存在を踏まえた情報活用能力の育成」を掲げています。(文部科学省)

 

つまり、使うか。使わないか。だけではありません。

どう使えるようにするか。

ここまで教育する必要があります。

 

問題は「考えるところ」までAIに渡してしまうこと

たとえば読書感想文。

AIに、「この本の読書感想文を1200字で書いて」と頼む。

数秒後に完成。

少し書き換えて提出する。

これでは、その宿題をする意味はかなり薄くなってしまいます。

文章が完成すること自体が目的なら、確かにAIの方が速いでしょう。

 

でも、読書感想文で本来経験してほしいのは、

どこが印象に残ったのか。

なぜそう思ったのか。

自分の経験とどうつながったのか。

読む前と後で考えが変わったのか。

そういうことを一度、自分の頭で考えることです。

 

AIへ全部任せてしまえば、宿題は終わっても、本人にはほとんど何も残りません。

 

同じAIでも、こんな使い方なら違う

一方で、こう使うならどうでしょう。

「読書感想文を書きたいけれど、何を書けばいいか整理できません。文章は作らず、私に一問ずつ質問してください」とAIへ頼む。

 

すると、

「一番印象に残った場面は?」

「その場面を読んでどう感じた?」

「なぜそう感じたと思う?」

「自分にも似た経験はある?」

と質問してもらえます。

それに自分で答える。

最後は、自分で文章にする。

同じ生成AIを使っていても、こちらは考えることをAIへ任せていません。

むしろ、AIを使って自分の考えを深めています。

この違いはかなり大きいと思います。

 

数学なら「答えを教えて」ではなく「ヒントを一つ」

数学でも同じです。

分からない問題を写真に撮って、「答えと解説を教えて」と送る。

答えを見る。

写す。

終了。

これでは学習にはなりません。

 

オールウェイズで以前から生徒に伝えているのは、まず自分で考えることです。

問題文を読む。

分かっている条件を書く。

使えそうな公式を探す。

途中式を書いてみる。

それでも手が止まったら、助けを使います。

AIを使うなら、「答えは言わずに、最初のヒントだけください」でもいい。

あるいは、「一問ずつ質問して、自分で答えまでたどり着けるようにしてください」でもいい。

一つヒントをもらったら、また自分で考える。

それでも分からなければ、次のヒント。

この使い方なら、AIは「答えを出す機械」ではなく、先生が横から少し助けてくれるような存在に近づきます。

 

そして最後は、AIを閉じて解く

ここが非常に大切です。

AIの説明を読んで、「分かった!」となっても、それで終わりではありません。

以前のブログでも書きましたが、「分かった」と「自分でできる」は違います。

 

AIを閉じる。

答えも見ない。

そして最初からもう一度、自分だけで解く。

そこで解ければ、一歩前進です。

解けなければ、まだ理解が足りない部分があります。

AIを使ったかどうかより、AIを使った後、自分一人でできるようになったか。

ここを確認してほしいと思います。

 

英作文も「翻訳機」として使うだけではもったいない

たとえば、「私は夏休みに家族と大阪へ行きました。とても楽しかったです。」という英文を書く宿題があるとします。

日本語をそのままAIへ入れ、「英訳して」で完成させることもできます。

でも、それでは本人が英文を作ったことにはなりません。

まず自分で作ってみる。

 

I went to Osaka with my family during summer vacation.

のように書いてみる。

そのあとAIへ、

「中学生が書いた英文として文法的に間違っているところだけ教えてください。正解の英文はまだ出さないでください」

と聞く。

これなら、自分の英語を修正するためにAIを使えます。

さらに、「なぜここが間違いなの?」と聞けば、文法の復習にもなります。

完成品を作らせるか。

自分が作ったものを直すために使うか。

ここでも違いがあります。

 

AIを使う前に「まず自分」を入れる

生徒にAIを使わせるなら、私は一つ簡単なルールを作るだけでもかなり変わると思っています。

それが、AIより先に、自分で一度考える。です。

 

数学なら、まず途中式を書く。

英語なら、まず一文作る。

作文なら、まず自分の考えを箇条書きする。

理科や社会なら、まず自分が知っていることを書く。

そのあとAIを使う。

 

こうすると、AIの答えと自分の考えを比較できます。

逆に、最初からAIへ聞いてしまうと、自分が本来どこまでできたのかが分からなくなります。

 

AIの答えは、正解とは限らない

もう一つ、絶対に覚えておいてほしいことがあります。

生成AIは、間違えることがあります。

文章が自然なので、間違っていても正しそうに見えるのが厄介です。

存在しない情報をもっともらしく説明することもあります。

だから、AIが言っている。=正しい。ではありません。

 

文部科学省も、生成AIには誤った出力を完全には防げないことなどのリスクがあるとしており、利用者が生成内容の適切性を判断することを重視しています。(文部科学省)

京都産業大学も今年、生成AIを学生の学びを支える道具として活用しながら、「調べる・理解する・考える」という主体的な学びを大切にする基本姿勢を示しています。(京都産業大学)

 

教科書。

学校の資料。

公式サイト。

一次情報。

人間の先生。

必要に応じて、こうしたものと照らし合わせる必要があります。

AIを疑うことも、AIを使う力の一部です。

 

保護者が全部を監視する必要はない

家庭では、「AIで宿題をやっていないか監視しないと」と思われるかもしれません。

でも、すべてをチェックするのは現実的ではありません。

 

それより、こんな質問をしてみてほしいと思います。

「AIはどこで使ったの?」

「AIに何を聞いた?」

「その答え、本当に合っている?」

「じゃあ、自分の言葉で説明してみて」

これだけでもかなり違います。

特に最後です。

本人が自分の言葉で説明できるなら、ある程度は理解しています。

逆に、「AIがこう書いてたから」しか言えないなら、まだ自分の知識にはなっていません。

 

「AIを使った場所」を残すのも一つ

これから学校の課題でも、「AIを使ってはいけません」だけではなく、AIを使った場合は、どこでどのように使ったのか記録するという形が増えても面白いと思います。

たとえば...

 

AI利用記録

使用したところ:作文のテーマ決め

AIに聞いたこと:「テーマを決めたいので、質問してください」

AIから得たもの:3つの質問

最終的に自分で考えたこと:部活動について書くことにした

 

これなら、AIの利用そのものを隠す必要もありません。

教師側も、

「AIに全部作らせたのか」

「思考を助けるために使ったのか」を見やすくなります。

AIが当たり前になるほど、使ったことを隠す文化より、使い方を説明できる文化の方が大切になると思います。

 

宿題の目的を考えれば、AIに任せてよい部分も分かる

そもそも、「この宿題は何のためにあるのか」を考える必要があります。

漢字を覚える宿題なら、AIに答えを書いてもらっても意味がありません。

計算練習なら、自分で計算しなければ力になりません。

感想文なら、自分で考える部分をAIへ任せれば目的が変わってしまいます。

 

一方で、

知らない言葉の意味を調べる。

テーマ候補を出してもらう。

自分の文章の誤字を探してもらう。

考えが偏っていないか反対意見を出してもらう。

練習問題を追加で作ってもらう。

こうしたことなら、学習を助ける可能性があります。

つまり、AIを使っていいかどうかは、宿題の目的によっても変わります。

 

「禁止」だけでは、これから困る

子どもたちは今後、学校。高校。大学。専門学校。仕事。

いろいろな場面でAIを使うことになると思います。

そのときに、「学校では禁止されていたので使い方は分かりません」では困ります。

逆に、「全部AIに聞けばいい」でも困ります。

 

必要なのは、

AIが得意なこと。

苦手なこと。

任せてもよいこと。

自分で考えるべきこと。

間違っていないか確認する方法。

個人情報を入力しないこと。

こうしたことを少しずつ経験しながら身につけていくことです。

文部科学省も、生成AIについて単純な禁止ではなく、情報活用能力を育てながら適切な利活用を考える方向を示しています。(文部科学省)

私はこの方向に賛成です。

 

オールウェイズの「ウェイズ先生」も同じ考え

オールウェイズで開発している学習支援AI「ウェイズ先生」も、考え方は同じです。

答えをすぐに渡すAIにはしません。

 

まず、

どこまで分かっているのか。

どこで止まったのか。

何を使えそうなのか。

を確認する。

問題を小さくする。

一つずつ問いかける。

必要ならヒントを出す。

そして生徒自身に答えてもらう。

AIだけでは対応しにくい内容は、塾長へつなぐ。

AIを使うことで生徒が考えなくなるのではなく、AIがいることで、一人でもう少し考え続けられる状態を作る。

そこを目指しています。

 

宿題を終わらせるAIではなく、勉強を進めるAIへ

夏休みの宿題が残っていると、どうしても、「早く終わらせたい」という気持ちになります。

そこに、数秒で答えを作ってくれるAIがあれば、使いたくなる気持ちも分かります。

でも、AIで宿題を終わらせることと、AIを使って自分ができるようになることは、まったく違います。

宿題が終わっても、自分に何も残っていなければ、次のテストでは困ります。

 

逆に、AIからヒントをもらいながらでも、最後に自分一人でできるようになったなら、その利用には意味があります。

だから私は、「宿題にAIを使っていい?」と聞かれたら、単純に「いい」「ダメ」とは答えません。

代わりに、「AIに何をしてもらう?」と聞きたいと思います。

答えを作ってもらうのか。

考えるためのヒントをもらうのか。

自分の間違いを見つけてもらうのか。

理解できているか質問してもらうのか。

使い方によって、AIはカンニングに近いものにもなれば、優秀な学習補助にもなります。

これから必要なのは、AIを使わない力ではなく、AIに任せすぎない力。

夏休みの宿題も、その練習の一つになるのではないでしょうか。

完全個別指導塾オールウェイズでも、生成AIをただ導入するのではなく、生徒自身が考えることを中心に置いた活用を進めていきます。

便利なものは使う。

ただし、考えるところまで渡さない。

これからの学習では、その線引きを生徒と一緒に考えていくことも、教育の一つになっていくと思っています。