塾長のひとりごと

【生成AIが文章を書ける時代に、なぜ子どもは「書く」のか】書くことは、考えること

こんにちは、完全個別指導塾オールウェイズです。

今日は、最近の教育・AIニュースから一つ取り上げます。

 

8月29日に、高校・大学・企業が一緒になって、生成AI時代に「書く」ことの意味を考える教育イベントが開催されます。

テーマとして挙げられているのが、「書くことで学びを深める」そして、「『書く』力をどう証明するのか」という二つです。

これは、これからの教育を考えるうえでかなり重要なテーマだと思います。

 

なぜなら今は、生成AIに、「このテーマについて800字で作文を書いて」と頼めば、数秒でそれらしい文章が出てくる時代だからです。

志望理由書。

読書感想文。

小論文。

レポート。

英作文。

文章を「完成させること」だけを目的にするなら、人間よりAIの方が速い場面はすでにたくさんあります。

 

では、子どもたちは、もう文章を書く練習をしなくてもいいのでしょうか。

私は、むしろ逆だと思っています。

AIが文章を書けるようになったからこそ、

自分で考え、それを言葉にする力は、これまで以上に大切になる。

今日はその理由を書いてみます。

 

「文章を書くこと」と「文章を完成させること」は違う

学校の作文やレポートを見ると、どうしても完成した文章に目が向きます。

漢字は正しいか。

文法は合っているか。

文章の流れは自然か。

指定された文字数に収まっているか。

もちろん、これらも大切です。

 

しかし、教育として考えたとき、本当に価値があるのは完成した文章だけではありません。

 

その文章を書くまでに、

「自分はどう考えているんだろう」

「なぜそう思うんだろう」

「この理由だけで本当に説明できるかな」

「さっき書いたことと矛盾していないかな」と考える。

この過程そのものに意味があります。

文章は、考えたことを記録するためだけのものではありません。

書きながら考えるための道具でもあります。

 

書いてみて初めて「自分が分かっていない」と気づく

授業でもよくあります。

口では、「分かっています」と言える。

でも、「じゃあ、なぜそうなるのか書いてみよう」となると、手が止まる。

これは、その生徒が何も分かっていないということではありません。

頭の中では何となく分かっているけれど、まだ整理されていない状態です。

 

書こうとすると、主語が必要になります。理由が必要になります。順番を考えなければなりません。前後がつながっているか確認しなければなりません。

その過程で、「あれ、ここ説明できないな」と気づきます。これが大切です。

以前の記事でも書きましたが、「分かった」と「自分でできる」は違います。

同じように、「何となく考えている」と「自分の考えを説明できる」も違います。書くことは、その差を見つける方法の一つです。

 

国語の記述問題も「文章力」だけではない

たとえば国語の記述問題。

文章を書く問題なので、「文章力がないから書けない」と思われることがあります。

でも実際には、それだけではありません。

何を聞かれているのか分かっていない。

本文のどこを根拠にすればいいか分からない。

根拠は見つかったけれど、自分の考えとつながらない。

必要な情報と不要な情報を分けられない。

こうした部分で止まっている生徒もいます。

つまり、記述問題は、きれいな文章を書く力だけを測っているわけではありません。

 

読んで、考えて、必要なものを選び、順番を整理し、言葉にする。

複数の力を使っています。

だから、模範解答をAIに作ってもらって写したところで、この力は身につきません。

 

数学でも「書く」ことは考えること

これは国語だけの話でもありません。

数学でも同じです。

途中式を書く。

図を書く。

分かっている条件を書く。

なぜその公式を使ったのか書く。

これらもすべて、自分の考えを外に出す作業です。

 

頭の中だけで、「たぶんこう」と考えていると、間違いに気づきにくい。

しかし途中式を書けば、符号を落とした場所が見える。

図を書けば、条件の読み違いに気づく。

説明を書けば、自分が使っている公式の意味を理解していないことが分かる。

 

数学でも、書くことによって、自分の思考が見えるようになります。

だから私は、生徒に途中式を書くように伝えます。

ノートをきれいにするためではありません。

自分の頭の中を、自分で確認できるようにするためです。

 

英作文も、AIに訳してもらえば終わりではない

英語も同じです。

たとえば、「私は夏が好きです。海で泳ぐことができるからです。」という英文を書きたい。

AIに日本語を入れれば、すぐ英文へ変換できます。

でも、それだけでは、自分が英語を使えるようになったとは言えません。

 

まず自分で、主語は何か。動詞は何か。「〜できる」は何を使うか。理由をつなぐには何を使うか。と考える。

そして、

I like summer because I can swim in the sea.と組み立てる。

この過程を経験するから、次に違うことを言いたくなったときにも英語を作れるようになります。

AIから完成した英文だけを受け取ってしまうと、その一文は完成しても、自分の中には何も残らないということがあります。

 

では、AIを使ってはいけないのか

ここまで読むと、「じゃあ作文やレポートではAIを禁止した方がいいのでは」と思うかもしれません。

私はそうは考えていません。

AIは使い方によって、文章を書く力を奪う道具にもなります。

一方で、書く力を伸ばすための非常に便利な道具にもなります。

 

たとえば、自分が書いた文章をAIへ渡して、「この文章で理由が弱いところを教えて」と聞く。

「反対意見を3つ出して」と聞く。

「私の考えを整理したいので、一問ずつ質問して」と頼む。

「文章は書き直さず、分かりにくい部分だけ指摘して」と頼む。

こうした使い方なら、AIは自分の代わりに考えるのではなく、

自分がもっと考えるための相手になります。

 

「作文を書いて」ではなく「質問して」

生徒がAIを学習に使うなら、特におすすめしたい考え方があります。

AIへ、「完成品を作って」と頼むのではなく、「自分が考えるのを手伝って」と頼むことです。

 

たとえば作文なら、「環境問題について800字で作文を書いて」ではなく、「環境問題について自分の考えを整理したいです。私に一問ずつ質問してください。文章自体は作らないでください」

とする。

 

すると、

「どの環境問題に一番関心がありますか?」

「なぜそう思いましたか?」

「自分の生活と関係していることはありますか?」

「反対の立場の人はどう考えると思いますか?」といった質問をしてもらえます。

そこで答えていく。

考えが整理されたところで、最後は自分で文章を書く。

私は、こちらの方が教育的なAI活用だと思っています。

 

AIは「答え」ではなく「材料」として使う

大学でも、生成AIとの付き合い方について同じような考え方が示されています。

たとえば京都産業大学の学生向け生成AIガイドラインでは、AIの出力を結論として扱うのではなく、検討や判断の材料、理解の補助として使い、自分で調べ、理解し、考え、判断することが重要だとしています。

また、AIが誤った情報を出す可能性があるため、一次情報などを使った確認も求めています。

これは大学生だけの話ではありません。

中学生や高校生が今から身につけておくべきAIとの付き合い方でもあると思います。

 

AIが答えを出した。だから終わり。ではなく、AIがこう言っている。

本当だろうか。

自分はどう思うのか。

別の考え方はないか。

ここまで戻ってくる必要があります。

 

完成した文章だけでは「誰が考えたのか」が分かりにくくなる

生成AIがこれだけ自然な文章を書けるようになると、教育側にも課題が出てくると思います。

完成した作文だけを見て、「この生徒はここまで考えられる」と評価することが難しくなっていきます。

だから今後は、完成した文章だけではなく、そこに至るまでの過程が、より大切になるのではないでしょうか。

 

最初にどんな考えを書いたのか。

どの資料を調べたのか。

途中で何を修正したのか。

AIをどこで使ったのか。

なぜ最終的にその意見を選んだのか。

そして、本人が自分の文章について説明できるのか。

こうしたところまで見なければ、本当にその生徒が考えたのかは分かりません。

これは私自身も、これからの指導で意識したいところです。

 

志望理由書も「上手な文章」を作ることが目的ではない

高校・大学入試では、志望理由書や自己推薦書を書く機会があります。

生成AIを使えば、かなり整った文章を作ることができます。

でも、本当に必要なのは、文章をうまく見せることではありません。

 

なぜその学校なのか。

何を学びたいのか。

なぜそれに興味を持ったのか。

これまでに何をしてきたのか。

大学で何をしたいのか。

その先をどう考えているのか。

本人の中にあるものを掘り出して、つなげていくことです。

AIが本人の経験を勝手に作ることはできません。

仮に文章だけきれいになっても、面接で、「なぜそう思ったのですか?」と聞かれて答えられなければ意味がありません。

だから志望理由書の指導でも、最初から完成文を作るより、質問して、話して、考えを整理する時間の方が大切だと思っています。

 

書くことは、自分の考えを「形」にする作業

生成AI時代に、「書くことの意味がなくなる」とは思いません。

むしろ、文章を作る作業と、考えを言葉にする作業が、はっきり分かれていくのではないでしょうか。

文章の誤字を直す。

言い回しを整える。

長い文章を短くする。

構成案を比較する。

そういう作業はAIに手伝ってもらえばいい。

 

でも、

自分は何を考えるのか。

なぜそう考えるのか。

何を選ぶのか。

最終的に何を伝えたいのか。

そこまでAIへ渡してしまったら、それは自分の文章ではなくなってしまいます。

 

オールウェイズの「ウェイズ先生」も同じ考えです

オールウェイズで開発している学習支援AI「ウェイズ先生」も、生徒へすぐ答えを渡すことを目的にはしていません。

 

どこで止まっているのか。

何が分かっているのか。

次に何を考えればよいのか。

一つずつ問いかけます。

AIに考えてもらうのではなく、AIに問いかけてもらって、生徒が考える。

今回の「書く」というテーマも、根っこは同じです。

 

生成AIができることが増えれば増えるほど、教育では、「何をAIに任せ、何を人間がやるのか」を考えなければなりません。

私は、「考えること」まで丸ごと任せてはいけないと思っています。

 

AI時代だからこそ「自分の言葉」が必要になる

AIはこれからさらに便利になります。

今より自然な文章を書けるようになるでしょう。

翻訳も、要約も、作文も、もっと簡単になります。

だからこそ、「AIが書いた方が上手だから、自分では書かなくていい」ではなく、上手でなくても、自分で考えたことを自分の言葉にする経験を大切にしてほしいと思います。

 

最初は短くてもいい。

うまくまとまらなくてもいい。

一度書いてみる。

読み返す。

「これは本当に自分が言いたいことかな」と考える。

書き直す。

 

その過程で、考えは少しずつ深くなります。

文章を書くことは、完成品を提出するためだけの作業ではありません。

自分が何を考えているのか、自分自身が知るための作業でもあります。

生成AIが文章を書いてくれる時代。

だからこそ私は、生徒たちに「書かなくていい」とは言いたくありません。

AIも使う。

便利なものは使えばいい。

でも、考えるところまで渡さない。

 

国語の記述でも。

英作文でも。

数学の途中式でも。

志望理由書でも。

自分の考えを一度、自分の手で言葉にしてみる。

その力は、AIがどれだけ進化しても必要になると思っています。

 

完全個別指導塾オールウェイズでも、AIを禁止するのではなく、生徒自身が考える時間を増やすためにどう使うかを考えながら、これからの学習支援へ取り入れていきます。